ワークルール講座第2回です。【序章】働くこととワークルールの続きです。
(3)働くことと労働法
「働くこと」のイメージはそれぞれだと思いますが、労働法が対象とする「働くこと」とはどんな感じでしょうか?
労働法が対象とする「働く」は、会社などに雇われて、上司の指示によって働く、つまり他人の命令によって従って働く、雇用者的な働き方です。
使用者と労働者の関係は、法律の世界ではまず、契約を規律する民法において「雇用契約」としてとらえられ、その際の「雇用」とは、〈労働者が使用者の指示に従って働くこと〉と〈使用者がその対価として一定の報酬を支払うこと〉を相互に約束した契約関係を指します。
民法には13種類の典型的な契約が示されており、雇用契約はその一つです。もっとも13種類の典型契約だけでなく、「契約自由の原則」というのがあって、契約は当事者が自由にその内容を定めることができることになっています。
では使用者と労働者が合意すればどんな契約でも結べるのか?
という話ですが、
もちろん、そうではありません。
一方の当事者である労働者は、生きた人間です。長い人生があり、学校を卒業したばかりのバリバリ働ける青年期だったり、子育てや親の介護、時には病気やけがで働けない期間もあるわけです。さまざまな人生の出来事や社会の変化もあります。そういう人間の人生的な長い期間を継続する、けっこう特殊な契約関係なわけです。
他方で、会社の側も、1円でも安く雇いたい。1時間でも多く働かせたい、なるべく強い緊張度で働かせたい。そして景気が悪い時は労働者を解雇したいわけです。
労使で合意すればなんでもOKということでは、現実には使用者の方が強いので、労働者にとって不利な状況になりがちです。
歴史的には、『女工哀史』や『あゝ野麦峠』のようなこともありました。
十代の女工が過酷な紡績工場の労働によって、1週間の夜勤で平均600グラムの体重が減少し、次の日勤作業で約200グラム回復する働き方によって、日々健康が衰えてゆき、多くの女工が結核などで命を落としたことが工場法の出発になりました。
労働者の平均寿命が短くなるほどの過酷な労働環境、そして労働運動の誕生と成長なども含めて、国際的な環境のなかで、民法の雇用契約を規制・修正するものとして労働法が誕生したのです。
労働者と資本家は対等ではない。自由な関係でもない。そして人間はモノではなく人である――として次のように2つの方向で介入・修正が始まったのです。
第一が、労働条件の最低基準です。最低賃金とか労働時間、あるいは安全衛生など、法律が定める最低基準に違反する契約を違法・無効にするなどの方法で契約自由の原則に制約を課し、労働者に人間的な生存と自由を確保したのです。
第二に、労働者が団結して使用者と団体交渉をし、その際にストライキ等の団体行動を取ることを認めたのです。
資本主義発祥の英国では、労働組合の活動は、労働の自由な取引を制限するコンスピラシー(共謀)であるとして違法でした。
しかし、プロ野球選手と労働者は違います。労働者と使用者は、様々な点において格差があり、1対1では圧倒的に不利です。最初は犯罪とされた、労働者が徒党を組んで資本家と闘う権利を、労働運動は長い歴史の中で合法化させたのです。
この歴史を学ぶことはとっても大切なことだと思います。